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スティーブ・ジョブズ 人を動かす神ーなぜ、人は彼に心を奪われるのか? (リュウ・ブックス アステ新書)
スティーブ・ジョブズ 人を動かす神ーなぜ、人は彼に心を奪われるのか? (リュウ・ブックス アステ新書) (JUGEMレビュー »)
竹内一正
良くも悪くも、飛び抜けているからこそ頂点を極められる。妥協の無い姿勢には尊敬を通り越して、畏怖さえ覚える。そこがスティーブ・ジョブズのスゴイ処だ。ただ、個人的にはあまり友達になりたくないかも。
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8月20日配信【Billboardも雑誌に見切り】 ネタの考察

 ライブ配信「花壱ちゃんネル」での一コーナー「こんな世の中ナナメ斬り!」での
ネタについて考察、第2幕。

今回の【Billboardも雑誌に見切り】というネタは、副題に -成功の方程式が通用しなく
なった米音楽業界- とあるもので、音楽雑誌と読者層の乖離による影響についてである。

しかしながら、これは音楽業界に限った事ではなく、情報を扱う紙媒体全体に於いて
言えることだ。
これは私自身が書店という現場を体感してきた中で、インターネットの台頭と共に
情報媒体としての雑誌類が淘汰されていく危機を感じていた事が現実に起こって
来たことの現れである。

それまで、あらゆる物の情報源として雑誌類(もしくは紙媒体)は不動の地位を
保ってきた。それがネットという情報源が現れたことによって、単に情報だけを
入手するという目的に絞れば、ネットの方が簡単である事に気づいた。
欲しい情報だけが必要とするなら、情報検索という手段でより簡潔に
情報を取得できる方が便利であるからだ。

その点雑誌というのは、本来の目的である情報の他に、今は全く必要では
無いであろう情報も同列に列挙してある。一冊の雑誌の中で、目的の情報を
探すには、その雑誌内でサーチするという手順が必要になるわけだ。
今まではそれが当たり前であった。

旅行雑誌を例に挙げてみると分りやすい。
目的地が決まっているなら、その土地のガイドブックを購入する。
しかし、殆んどの括りが自分の目的地よりも広範囲であるために、
全く立ち寄る事のない所の情報までその中には載っている。

はたして、ここでその要らない情報分には価値がないのか。
必要な部分だけを切り取って、その分の対価だけを支払えば事足りる、
というふうに考えるかどうか。

更に言えば、現実に起こっていた話であるが、
100円で買える求人誌を立ち読みし、自分の希望する求人の連絡先を
その場で携帯電話にメモっているというのも多々あった。
確かに、自分の求める情報だけあればいいという考えも分らなくはない。
それにしても、たかだか100円、缶コーヒーよりも安いという求人誌を
買わずに済ませるという行為はいかがなものか。

ちょっと話がそれた。
目的のハッキリした情報を取得するには、確かにネットは便利である。
検索という手段は、自分の欲求を満たす情報を最短の速度で手に入れる
事ができるツールであるのは否定できない。
しかし、雑誌の位置はもっと違う処にあったのではないか?
確かにネット検索は、知りたい情報にピンポイントで切り込んでいくことが出来る。
より深い情報を探すということに掛けては、非常に便利であるだろう。
その点で雑誌は、もっと俯瞰的な情報形態であるといえる。
一冊の雑誌は、それ自体で一つの括りであることには違いない。
しかし、そこに内包される情報は他者が選択した情報の束である。
大きな括りの中では、自分の興味外のものであったり、必要としないもの
であったりするであろうが、少なくともそれを取得選択すると言う行為は
自分自身なのだ。
つまりサーチは自分自身が行っているというところに、大きな違いがあると
思うのである。

今ここで”ひとつの括り”と言ったが、この括りの大きさ、ファジーさが雑誌の
本質だったのではないかと思う。(ファジーって言葉も無くなった気がする)
自分が求める情報を得ることは、一つの快感であり、それが括りとするならば、
自分の括りの中に居ることは楽なこととなるのだろう。

括りが小さくなればなる程、それは自分自身の自己満足になっていく。
サーチの先にはなんとなくそんな危険が孕んでいるような気がしてならない。

今は何故かカテゴリーの細分化が進んでしまい、大枠のジャンルであった
ものが、それこそ小さな括りで縛られていく。
人間は人それぞれであるから、大きな枠内で何となく違うなと感じていた
人もいたことだろう。
それが自分の欲求にマッチしたものを得る為に、より細分化したジャンルに
意味づけをしているのだとしたら、それは括りと同じことではないだろうか。

必要のない情報は、排他するという感覚であるとしたら、俯瞰で情報を扱う
雑誌は必要ないという意識になるのもうなずける。

それでも、物事を俯瞰で見る事が本当は重要なのではないだろうか。
車のハンドルに遊びがあるように、一見無駄でもそれが無いと大事に至るという
こともあるだろう。
いらないものは、排除するというのではなく、一度自分の中を通して取得選択
するという行為が、より情報を有益に使うための方法ではないだろうか。
自分自身をフィルターとすることで、自身を鍛えることができる。
無菌培養では弱くなってしまうという事と同じなのではないかと思えるのである。

雑誌と音楽業界の話であったのが、だいぶ方向がずれた気がする。
ただ、雑誌という媒体とネットという情報源は同じ情報を扱うものでも
その位置においては全く違うという事だ。
それを踏まえて、情報を取得する我々がどのように活用するかという問題でも
あると思う。
本当は、情報の価値というものを、発信者、媒体の作り手、購読者、受け取り手
それぞれが考えなければならない処に来ているのだと思うのである。


at 17:10, chibaP, こんな世の中ナナメ斬り!

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